2023/05/31 08:31
人は何のために存在するのかを考える日々
人生の殆どを体調不良で過ごしていた私は、自ずと生命とか人の存在する理由等の探求の為に
意識が向いて、沢山の本を読む機会が多かったです。
パニック障害で発作が起きるたびに死ぬかもしれない!と思ってました。いっその事死んでしま
えば楽になるかも、と思いながら生きていました。
あまりにも気分が悪くて一つもスッキリとしない私の身体って何なのか?身体が気持ち悪さを
感じるのか?それとも意識が気持ち悪さを感じているのか?身体と意識は別物?自分が体感して
いる気分の悪さはどうやったら取り除ける?
永遠と続く不安感、深く閉ざされたトンネルの中にいる様な、あるいは深い深い海の底に沈め
られた様なそんな暗い気分の毎日でした。身体の機能自体は何の異常もなく(あらゆる検査を
受けてみました)体調不良を訴える私が理解できなくて周りの人たちも一人二人と離れて行って
しまいました。
そんな日々の中で、人って何なのか?その存在意義が知りたかったのです。
自分の存在意義を考える前に、そもそも存在意義の意味を認識する必要があります。まず「存在」とは、その人物や物事がそこに「ある」ということ。そして「意義」とは、言葉や行為などが現実に持っている価値を指します。
つまり「存在意義」とは、ここに存在しているということの重要性や価値を意味する言葉です。大きなことを成し得ることにより生み出される価値に限らず、ただ生きている、存在しているだけで生み出される価値が存在意義だといえるでしょう。
意義とは価値そのものです。命は平等に尊ばれるべき概念であり、この世に存在意義=存在する価値がない人間はいません。大成して多くの富を得た人も、平凡な人生を歩んでいる人も、平等に存在意義があるといえます。
とはいえ、社会や世の中などを主語としたときの存在意義は意味合いが変わります。社会にとって大きな奉仕活動を行った人は存在意義が大きく、反社会的な行為を行った人は存在意義が小さくなることもあるでしょう。
しかし、特定の人物の一点のみに視点を当てて存在意義を決め付けることは危険な行為です。人間の可能性は無限であり、人は生きている限りさまざまな行動を起こせます。また、存在意義は本来誰かが決定するものではありません。
ある人物がどのような行為をしたかだけではなく、その人物が今までどのような影響を周囲に与え、これから与えていくのかを重要視することで、すべての命の存在意義は大きく意味あるものになっていきます。
ただ生きていることが存在意義なんだ。そして体感している今の苦しみを丸ごと受け入れて
しまえば苦しくても少しは楽になれるような!
ある時期より抵抗するより受け入れるようになっていました。
発作が起こっても「死ぬなら別に死んでもいいや!」という感じですね。人は死への恐れを乗り
越えられた時が最強なのかもしれません。不安を少しずつ克服していくことも出来て強くなった
のかもしれません。様々な本を読んだお陰でパワーを貰って影響を受けたのかもしれません。
人生感が変わった本との出会い
影響を受けた本は沢山あると思います。
その一つが【正木和三】氏の本。この人はきっと人類に与えられた神様のお使いなのだと
思いました。
政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。
自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。 またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。
発明家としての面[編集]
彼は発明の能力に優れ、発明品の数は1000件以上にのぼる(物的証拠のあるもので1000あまり、それ以外を含むと3000件近いという)。発明した具体的なものには、自動炊飯器、自動ドア、歯科用ドリル、魚群探知機などがある[2]。また、彼の技術によって、カラーテレビの低価格化が実現された[3]。政木は自身の特許の多くを手放した。これにより社会的に技術革新が進んだ。なぜなら、彼の技術の公開が一般人や企業の新製品開発につながったからである。彼は発明品を創るにあたり、一瞬で設計図が頭にひらめくことがあったという[1]。
スピリチュアリストとしての面[編集]
政木はスピリチュアルな体験、経験を数多くした。発明の際の特定のインスピレーションもその一つである。また彼は、「人々が幸せになる発明をしなさい」という啓示的信号を受けた。政木は後年、これら自身のスピリチュアルな経験や、真理が自然の中にあることなどを、講演活動で伝えた。ウィキペディアより引用
正木氏の発明のお陰で技術の無償提供をする事でどんなに人類へ貢献したのか!今ある家電製品は
正木氏の発明を基に創造された様なものなのです!
その正木氏のスピリチュアルな一面でも凄い方だったようです。
この映像を見ていると何とも言いようのない驚きでした!
中々出来ない事ですが、人は私利私欲を離れると、何でもできちゃうのかもしれません。
意識が軽くなりどんどん動けるようにというか動かされてるみたいな感じなんでしょうね。
私利私欲を中々手放せない人が大方ではないのでしょうか?中々出来ませんが。。
正木氏は前世が誰だったのかも分かっていた様です。
生まれ変わりの実証 ◇真珠や仏像の発生という超科学的現象の実証は、物的証
拠が残っているので比較的受け入れやすいのですが、生ま
れ変わりに関しては未知なる部分が多いようです。というより
も、この世に生まれてくる時にそれまでの記憶がすべて消さ
れ、白紙の状態からスタートするのが基本のようです。政木
先生の場合は特殊な能力により前世の記憶が甦り、周辺の
方に伝えられたものと思われます。
◇政木先生のお話によれば、前世が熊沢蕃山、その前が畑
時能、その前が日蓮聖人だったそうです。岡山で最初に訪れ
た場所が備中松山城で、城へ行く時、城の北の端はこのよう
になっている、と話ながら行くと、その通りになっていたことな
どをはじめとして、古河市に墓があることなど、次から次へと
ご縁が明らかになって、380年前が熊沢蕃山であったとの確
証を深められたようです。
◇政木和三、熊沢蕃山、畑時能、日蓮聖人の生き方を調べて
みると人並み外れた強い意志で信念を貫いて生きた、やろう
としたことが時代の一歩先を行っていて、その時代の人より
も後世の人々の評価が高い、知行一致で実践の人、など非
常に共通点が多く、その時々に与えられた役割をきちっと果
たされたものと思われます。
◇講演会で繰り返し前世のお話をされたのは、人間は一度き
りではないこと、肉体は滅んでも300~400年後に生まれ変
わること、因果応報はきちんとあるからよい行いを積み重ね
ること、今身の周りにいる人は前世からの縁のある人、など
を知らしめるために引用されたものと思われます。自分さえ
よければという人生は、後々にその償いをする時が来る、を
肝に銘じたいものです。
◇政木先生は、前世は他人から教えてもらうのではなく、自分
で判る(脳波がシータ波になる)ことが肝心であることを強調
されました。もし、前世が判らなくても来世は今世の続きです
ので、マイナスの行い(借金)ではなく、プラスの行いを、でき
れば“陰徳”を積み重ねたいものです。
今は【セルパワー】の名称で販売しています。様々な迫害をうけながらも、正木氏の信念を受け
継ぎ、販売を継続されているセルパワー社(旧京都部品の後を引き継いでセルパワー社が再度改良
して販売中!)を応援したいですね!今でも年に数回情報誌
が届きます。回し者でも何でもないのですが、皆さまの健康に貢献できればと思います、宜しければ。
レンタルも始めたようなのでオススメ致しますよ。